幼少期の記憶

2026/04/29

おひとりさま日記 親の介護

 



子供の頃の記憶が……ほとんどない私です😅



お腹空かして飢えてた記憶はあるんだけど(笑)

親との思い出の記憶は全くありません。

母親とのおしゃべりだったり、一緒に何かを作ったり、家族でどこかに出かけたり……

全く……ない😆

実際……家族旅行も0だったんですけどね(笑)


幼少期の両親との思い出は全く思い出せない。

子供の頃の記憶で思い出せるのは、兄との思い出くらいです。


どうしてだろう?っていつも思っていたんですが、ある記事を読んで「あぁ~そうだったのかもしれない」って思ったんです。


「人はその日あった出来事を誰かに話すことで記憶に残る、幼少期の記憶があまり無い人は聞いてくれる人がいなかったから」


あぁ~そうだ。

私の幼少期の記憶に残っているのは、兄と二人で過ごした飢えた日の思い出(笑)、仲良かった友達のお家に遊びに行った時に友達や可愛がってくれた友達のおばちゃんと話した会話は全部じゃないけど今でも記憶に薄っすらと残っているのに、両親とは今日学校であったことなどを聞かれることもなく、また些細な会話すら何もなかったから……

だからごっそりと幼少期の記憶が残っていないんだ。

そう納得したんです。


今はリアルな友達は0人でも、こうしてブログを書きながらこのブログを読んでくれている皆さんと会話しているように日記を書いています。

まるでその日あった出来事を話しているように……

だから記憶に残る。

毎日の記録全部じゃなくても「あの時、こんなことあったな」「あの日にこれ食べたな」みたいな簡単な記憶でも憶えていたりする。


聞いてくれる人がいることはとても大切なことなんだと、改めて思ったりしています。




ワイルド・ヒヤシンス(学名:Scilla peruviana、別名:オオツルボ)

地中海沿岸原産のキジカクシ科の秋植え球根です。5〜6月頃に星形の小花が集まったピラミッド状の青紫色の花を咲かせ、花火のようなユニークな姿が魅力の多年草です。丈夫で植えっぱなしでも育ちやすく、切り花にも向いています。

注意点: 根に毒性があるため、取り扱いに注意が必要


今年、急に実家の庭に咲き始めたヒヤシンス。なぜ?😁



記憶の構造

心理学では、3歳以前の記憶はほとんど残らない「幼児期健忘」が一般的です。

共有の重要性

その日の出来事を誰かに話すことで、脳が「これは重要な記憶」と認識し、強化されます。話す相手がいないと、感情の整理がされず記憶が薄れがちです。

家庭環境の要因

精神医学の知見では、幼少期の記憶がない人は、つらい環境(虐待や話を聞いてもらえなかった環境)にいた可能性があると指摘されています。 



最近はYouTubeなどの相談(昔でいうテレフォン人生相談みたいなの)などをライブ配信している時にちょこっと聞いたりすることもあるんですが、私と同じように放置児童の若い女性の相談で幼児期の頃(5歳未満)の虐〇体験を聞いたことがありました。

3歳以前もそうだけど、幼稚園生で公園で暮らしていた。ってその女性は語り、その話も一時期ちょっとバズったので知っている人もいるかもしれませんが、昭和の時代ならいざ知らず、そんなことは21世紀の現代にはありえない。と思ったんです。


「幼稚園の頃から家族との仲が良くなくて両親に家を追い出され、近所の公園に深夜いたところ、警察に見つかっては補導されたりしたが、また自宅に連れて返された。生活を何度も繰り返していた。

ただ、両親は学費などの最低限のお金だけは出してくれて、公園から幼稚園のバスに乗って幼稚園に通っていた」


ありえない話だ(笑)

でも、この話を信じている人が圧倒的多数だった。

もしこれが本当なら幼児が路上生活しているのを知りながら公園に迎えに行く幼稚園も失格であり、路上生活している幼児を何度も補導しながら役立たずな警察も失格になってしまう。

食事もバナナ1本だったりの栄養失調だったらしいのに……

なにせ2000年以降の話なんだから、大変な騒動になっていたでしょう。

幼稚園児ですからね。


これは批判ではないです。

彼女自身も精神的に何かに追い詰められて育ったんだろうとは思う。

彼女の話には虚言と思われる話が多かったけど、幼少期から辛い経験を続けていると、自分に都合のいい虚言ストーリーができあがり、それを複数の人に話しているうちにだんだんと本人にとっても「リアルな出来事だったのでは?」と思ってしまうようになる。


そう、例え虚言話だったとしても、妄想だけでなくリアルに誰かと話すことによって、その話が記憶に残っていくからなんだそうです。

誰かに相手にされたい、誰かと話したい、かまってほしい……

壮絶な体験談を作り出すことによって、誰かとつながること、誰かに話を聞いてもらうこと、みんなに注目されることで段々と嘘をつくこと自体が目的化し、現実と想像の区別がつかなくなっていくケース。

「愛されたい・注目されたい願望」

寂しさや幼少期の愛情不足から、話の中心にいたい、すごいと思われたいという欲求が強くなり、虚言を本当と思い込んでいくそうです。



そんな私も子供の頃、親と会話さえも全くないのに「日曜日にお母さんと出かけてね……」って友達に嘘話していた記憶があるなぁ~(笑)

当時はみんなと違う家庭環境が恥ずかしくってね。

妄想の親を生み出していたのかも。


でももし今のようなSNS時代だったら、私も現実逃避からの虚言妄想に憑りつかれていたかもしれません。

誰も私の本当のことなんて知らないんだから、実体験を盛に盛って発信していたかも😁

そしていつの間にか、その妄想話の世界が自分のリアルな世界だと思い込んで生きていくことになるのか?

または、永遠と偽りだと自覚しながら生きていくのか?

どちらにしても「本当の自分がいない世界」が続いていたのかもしれませんね。



放置児童だった私も、大人になると共に少しづつ人との距離がわかるようになってきました。

ただ、この歳になっても甘えたりするのは苦手です😅

それは子供の頃に無条件に甘えさせてくれる場所(両親)がなかったからなのかも。


今はそんな高齢両親の介護をするのは……愛情よりも義務でしかないのだろうね。

本心では、これはもう「拷問だよ」と時々思うのでした😁

 


今日も読んで下さりありがとうございました。



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