映画「あんのこと」
この映画は2020年に実際に起きた事件をモチーフにして製作されています。
あらすじ
主人公の香川杏は母子家庭に生まれ、幼少期より母親の虐待を受け、義務教育もままならない環境で育った。
足の悪い祖母と母親と暮らす団地の部屋は足の踏み場もないゴミ屋敷。
劣悪な環境で育った主人公の杏は、小学校4年生で不登校になり、12歳の頃、実の母親に売〇をしてお金を稼ぐように強要される。
その後、杏は薬物をも常習し荒んだ日々を過ごしていた。
そんな時、ある刑事と雑誌記者との出会いによって、初めて自身に向けられる人の優しさに触れながら杏に変化が現れていく。
薬物から更生する自助グループに参加し薬物を断ち、義務教育もまともに受けてていなかったので字もロクに書けなかった杏だったが、刑事の口利きや雑誌記者の協力で介護の仕事をはじめ、夜間中学にも通い出し、たくさんの人との新たな出会いや繋がりの糸ができていく。
その後、母親から離れて暮らし、新しい杏だけの新生活を送り始めた。
自身が今まで生きてきた「絶望しかない日々」から、普通の一般的な生活を送ることによって、社会に溶け込んで懸命に生きようとする杏。
そんな中、新型コロナウィルスが世界中を襲った。
杏の新しい人生に差し始めていた光が…
また絶望の暗闇に飲み込まれていく。
杏が通っていた自助グループが閉鎖され、非正規雇用である介護の仕事も解雇になり、夜間学校も休校となってしまった。
感 想
幼いころから誰にも助けを求められなかった杏。
絶望の中で生きる杏のことを誰も気にも留めずに時間が流れていくこの世界の中で、杏にとって細いけれども大切な、人や社会と関わっていく大切な糸ができていく中でのコロナの蔓延。
せっかく繋がった細い糸が次々に断ち切られていき、杏はまた孤立していく。
やっと自分の生きる道を進もうとしていた杏にとって、誰との繋がりも無くなり、細いけれども大切に繋がっていた救いを求める糸も失われ、杏を必要とする人がお金の無心をする実の母親しかいなくなってしまったこの時、孤立よりたぶんもっと深い絶望に似た孤独感だったのかもしれません。
今まで生きてきて「普通の幸せ」を知らなかった杏。
母親や自分を食い物にする大人を信用できなかった杏が、自分を親身になって心配してくれて、何の見返りも求めなかった刑事に出会い、更生して介護の仕事につき、自分を傷つけずに自分を頼り必要としてくれる人たちに出会い…
社会との繋がりと、人間の温かみをきっと感じていたのかもしれません。
もし、もしもコロナがなかったら…………
杏はきっと幸せになれて、今もどこかで心から笑えていたのかもしれない。
この映画は、新聞記事に小さくのっていた実際にあった事件から映画化されたそうです。
杏の生い立ちも結末も実話なので、ドキュメンタリー映画を見ているように胸が締め付けられました。
実話をもとにしている映画ですが、所々に脚色は勿論あります。
隣に住む女性の子供を預かるシーンなどは実話ではありませんが、虐待を受けて育った主人公の杏ですが、他人の子供を懸命に世話をし守る部分は、虐待の連鎖は決して誰にでも起こるのではないというメッセージにも思えました。
映画のシーンでコロナが蔓延し街に人の姿が消えたある日、薄暗い通りを歩きながら電線に止まり飛び立てない1羽のカラスを見つめる杏。
1羽のカラスに絡まる電線が、まるで杏に絡まる実の母や足の悪い祖母と同じように見えてしまい、逃れられない杏の境遇にやるせない思いがしました。
実際の杏
この映画は新聞にのった小さな事件記事を基に映画化されました。
実際の杏は、ハナさん(仮名)という方で新聞記事にのりました。
映画では3世代家庭ですが、実際は4世代家庭であったそうで、曾祖母もいたみたいです(ハナさんよりも先にお亡くなりになっています)
曾祖母は手癖(万引き)が悪く、それが原因で小学生の頃に同級生からイジメられてハナさんは不登校になってしまったようですが、曾祖母は母親からの虐待からハナさんを守ってくれたりもしたそうで、そのこともあり介護職を目指したそうです。
ハナさんは実際に介護士の資格も取得されていました。
映画に出てくる佐藤二郎さん演じる刑事さんも実在する人物ですが、この刑事さんが逮捕される時間軸は映画とは少し違っていて、ハナさんが2020年5月にお亡くなりになった後、刑事さんが雑誌のインタビューを受けハナさんのことを語り(2020年7月)、その後に逮捕される(逮捕された内容は映画とは少し違っていました)2020年10月。
このハナさんの更生に携わっていた刑事さんは、別の更生者への性加害で逮捕されたと報じられていますが、ハナさんがお亡くなりになった後ハナさんの携帯電話を調べたら、刑事さんの携帯番号が登録されていました。
その登録名には「お父さん」と入力されていたそうです。
この刑事さんは実際に有罪となっているようですが、ハナさんとの関係にはきっと嘘偽りのない「家族愛」があったのだと信じたいです。
ラストシーンで杏がブルーインパルスが飛び立つ空を眺める。
あの日、ブルーインパルスが飛ぶ姿に感動しながら家族や友人たちと一緒に笑顔で空を眺めていた人もいれば、孤独に苛まれて先の見えない恐怖に怯えて不安な時間を過ごしていた人もいた。
「彼女は、きっと、あなたのそばにいた」
杏はこの世の中に一人だけじゃない。
杏と同じような境遇の人は今もどこかにきっといる。
まとめ
所々、自分に重ねて映画を見ていたので苦しかった。
でも、私は一人じゃなかった。
現在は役立たずな子供部屋おじさんかもしれないけど兄がいたから。
だから乗り切れたのかもしれない。
よく「もっと早く逃げ出せばよかった」「逃げるチャンスはいくらでもあった」
そういう人もいます。
ですが、そんなことができたらとっくに誰かに相談だってできていたはず。
幼少期から虐待を受け、きっと薄汚い格好で学校にも通っていたはず。
だけど身近な人でさえも手を差し伸べなかった、気が付いていても見てみぬふりをしていたはずです。
そして何よりも、こんな環境で育ったのに、足の悪い祖母を気遣ったりと………
とても優しい子だったのだと思う。
そして子供の頃から、その劣悪な環境を受け止めてしまっていた。
「もっと早く逃げ出せばよかった」
その言葉を目にするたびに、子供がどこに逃げたらいいの?身近な大人たちにさえ見て見ぬ振りされてきたのに。って思う。
学校にもロクに通えず、字さえもまともに書けない学力しか無くて、働けるような年齢になっても誰かの手助けなしで逃げ出す場所なんて決して自分で見つけることなんて不可能だったと思う。
自分に手を差し伸べてくれる人たちに出会えて、一生懸命に更生して生きるために努力もして、これから。という時にコロナに希望を奪われていった。
映画と違って現実ではコロナ禍の時期に、あのゴミ屋敷で母親に虐待され、一時期シェルターにかくまわれていた。
でも人との繋がりはなく、一人で過ごせる安全な場所を与えられても、その孤独に勝てなかったのかもしれません。
その後にまた薬物に手を出し、刑事さんに「また捕まるかもしれない」と電話をした翌日になくなったそうです。
人との繋がりは途中で切れて0になってしまっても、また新たな繋がりがきっとできたりする。
そう思ってもう少しだけ不安な日々や恐怖と闘って欲しかった。と……
映画を見終わった後も、彼女のことが頭から離れませんでした。
主演の河合優実さんの演技はとても切なく惹きこまれます。
佐藤二郎さんのオーバーリアクションの演技も重い映画の中で逆に良かったです。
稲垣吾郎さんの記者の存在がちょっと?敵か味方か難しい存在なのですが、この記者さんも実在した人物です。
ですが、一人ではなく実際は二人いたとのこと。
杏を取材していた記者と刑事さんの不祥事を追っていた記者。
だからこそ二人にべったりと寄り添わない独特な距離感があったのだと思うと、それを知ってから改めて映画を見ると稲垣さんの楽しそうな演技と居心地が悪そうな演技に納得できました。
毒親役の河井青葉さんは本気で憎たらしくなるほどの演技でした。
「感動」するような映画では決してありません。
とてもヘビーな映画ではありますが、杏が生きた人生をたくさんの人に心に刻んで欲しいと思った作品でした。